2018年7月30日月曜日

ご遺体につきまして

マスコミの方よりご遺体がどうなるのかという質問を度々いただきますが、
もちろん宮前一明さんはオウム真理教を脱会しておりますし、
オウムの後継団体とも関わっておりません。
遺体が反社会的勢力の手に渡るとか、社会不安に繋がるようなことはありません。

管理人

2018年7月27日金曜日

平成30年7月24日(火)

今の所のさいごの手紙です。
支援者を気遣う個人的な内容が多く、伏せ字が多くてすみません。

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平成30年7月24日(火)




昨日、名古屋は39.5℃です。それでも昼間2hクーラー中止です。

拝復(中略)それにしても、この猛暑は異常を遥かに越えてますよ。そちらでも大変かと存じます。東京も連日35℃以上。

※(※プライバシーのため伏せる)との報せに感動し、嬉しくなりました。多くの資格と能力のある資質を備えている人が、世のため人のために一日でも多く働けることは実に歓ばしいこと。御主人と共に、健康であり、一日一日を楽しんで貰へれば某も安堵し、今を充実できるものです。本当によかったね。

◉(※プライバシーのため伏せる)それは、某の方こそ感激です。只、(※支援者名)さんも御多忙なので、その都度郵便よくへ向かう時間も無いことでしょう。(※切手の支援方法のアドバイス)これでも、切手の差し入れに成り、某からのお礼状は可能です。二枚のみの便箋でも心のこもる内容が書けます。

◉7/23(月)付けにて、(※支援内容)の差し入れが告知され、7/24(火)の本日、ポストカードの礼状発信す。

(※支援者名・支援者の住所)

年齢や職業はわかりませんが、本当に、支援者が途切れぬことは、心から嬉しく感謝の念で一杯に成ります。右の(※支援者名)様にも、『夫婦鶴』の色紙を贈呈したく存じます。右の人も(※ブログ管理人名)さんの知人でしょうか?本当に、仏縁を感じさせられますね。


◉先々週の教誨は中止でした。(中略)

ネットニュースプリントを拝見。永岡会長が中川君と面会していたとは知りませんでした。マスコミの切り取り方は、全く以って視線が異なると感じますね。某が執行後、(※支援者名)には絶対にコメントを出さぬことを望みます。何を、どんな良い文字でも、マスコミは逆のイメージを視聴者に示すだけですので。

もし、出すならば、某の絵のみです。その絵の解説や、届いた頃の状況を話すのみとされて下さいね。信じ切れるものはブログの内容のみ。例えば、(※こちらの便箋 http://kazakimiyamae.blogspot.com/2018/06/blog-post_26.html)の中で、何故、絵を描くのか?に付いての真相というか理念を書いていますが、これらもブログには、既に掲載中かと存じます。某の文中の氣になる一文や重要な意見と判断したとき、どんどんブログに出しても構いません。絵は、その都度ですが(笑)

◉改めて思うに、(※管理人名)には常に感謝で一杯です。彼女の存在が、今の某を支える原動力の一つ。


合掌
九拝

2018年7月26日木曜日

平成30年7月19日(木)

平成30年7月19日(木)




拝復




(前略)

・某は(※支援者面会予定日)まで生存しているか否か?は、よく分かりませんが、今月末(7/27頃)が危ないので、来週の7/25(水)までには、最期の手紙としての某からの遺言のような、実に情けない要望も含め、書くつもりでおります。拠って、それ以降は本当の余世です。(笑)

毎月の如く月始めか月末が危険日です。その都度、改めて遺書を書くつもりもありません。(狼少年に成るとピエロですから)

※7/6(金)の夕方のニュース(ラジオ)等で、某は、7名の執行を知っていたのです。が、しかし、続けて13名(残る6人を)を執行するものと思っていたというのが某の思いです…という意味の文が(※7/9付の手紙)の内容です。

(中略)

◉7/9号の週刊文春で、某の記事を元に、朝刊の広告に載ってましたね。この内容はどんなものなのか?とうとう武田(※頼政)さん、収入の為に(※個人名)のように、偽りのスクープでも記したのか?(※支援者名)さんはもう、右の記事はご存知ですかね?(※用意していたが執行日に間に合わなかった)最近は、テレビ番組でも、林郁夫氏のドラマもあり、中京テレビのザ・世界仰天ニュースでは、土谷正実氏のSPとして出てますよ。

◉そして、週刊新潮(7/19号)の広告は、某も見てましたが?一体、なんの事か?と思っていたのですが、ネットニュースのプリントを見てビックリ仰天!

※週刊新潮の「新たに『麻原』の女性信者殺害事件が発覚、隠し続けていた『上祐史浩』認める」の内容のネットニュースのみでは、詳しくは、よくわかりませんが、もし、(※支援者名)から週刊新潮7/19号の記事の起こしプリントが、どうにか都合できれば、いつか同封して下さると助かります。(※用意していたが執行日に間に合わなかった)

※右の新たな殺人事件(既に時効)に、まさかの中川君が参加していたのが、ショックでしたね。新実と上祐がどちらも中川君のことを述べているから真実でしょう。中川君は、坂本弁護士の事件の2ヶ月前に出家した弟子だった。その中川君が、関与する事件に上祐も入るとすると…。当時、某も氣になっていた女性大師の下向(還俗)を麻原から告知され(平成二年の一月頃)すんなり信用しておりましたが、?(既に平成元年の十一月頃から見ていなかったけど)。もしかしたら、臨時でニューヨーク支部に支部長として数ヶ月いた女性大師(ヴァジラ・ダーキニー)ではないか?と…。

別にも還俗した女性の弟子はたくさんいますが、氣になるのは上祐の関与とすると、右のニューヨーク支部の女性大師しか居ないかと。(当時、弟子たちは月に一万円の所持金しか与へられてません。すると、金銭トラブルならば、どうしても大師クラスの支部長か海外の支部の長しかあり得ない。)

※新実君が、昨年の秋頃から告白し続けていたのは、そろそろ最期の切り札として隠し続けていたと考えられる。

※中川君が、今迄隠し続けていたとすると、本当に残念。元同僚の女性大師に対して、何の感情も正義感も無いのか?中川君は、今迄の弁護士たちや、お母様やきょうだいや親族や、多くの被害者や御遺族の方に対して、ずーっと隠し通すことがどんなことか解らなかったのか?

逆に、上祐や女性幹部(多分、絶対に石井久子)を守るために隠し通したのか?まさか新実君のような最期の切り札と考えていたのか?いずれにせよ、奴らは、証拠ひとつ無い事件は絶対に話さぬという事の証左と。すると、某が自首した時、昭和63年9月頃の信徒の溺死事故による遺体焼却事件と、平成元年二月三日の田口君の殺人事件は、それこそ、某の自首がなければ、誰ひとり語る者が居なかった。右のふたつの事件は、何んの証拠品も無いからです。坂本さん御一家の事件は、御遺体が残されていたから、どうにか解決できたもの。改めて、思うに、右の奴らは全く以って信用のならぬ奴らで、中川君も余りにも酷い盲信振りというか、いい加減にしろ!と怒り心頭に発す。

◉改めて上祐と石井久子を別件か何かで逮捕するしか道はないのか?と。




合掌



九拝

平成30年7月9日(月)

平成30年7月9日(月)




拝復

既に(※支援者名)もニュース速報等で7/6(金)に報され、翌朝の朝刊には一面等、多くの紙面にオウム7人執行云々の記事を読了されているかと存じます。某は、以前から記していた如く6月末頃に執行か、7月と述べていました。まさか、7月末でなく七夕の前日とは愕いております。・・・・・と云うよりも、6日の晩は、色々と過去を思い出して虚しくもあり、なんというか、過去世の兄弟を亡くしたという喪失感が心の臓を突き刺され、痛くなりました。・・・・・と同時に、7/9(月)も続けて残る6人が執行されると信じていたので、倖いにして土日の2日間という時間があるのでこの間にF6絹本色紙の「厳冬入山」を完成させ、(※支援者名)宛の最期の手紙を書くつもりでした。そして翌朝の中日新聞の朝刊紙面等詳細に読んでみたら、今回は7人の執行のみと。残る6人は皇家の婚礼前か後か?という記事。

一部検察幹部は、早期に続けて執行と述べていますが、別の法務省の幹部は大臣の精神的負担も重いので早期執行は困難と。川上(※ママ)法相は既に3名の執行経験があり、これで10名と。もし続く6名も足せば、16人を殺した大臣として鳩山邦夫の13人を抜く、最多の数字。9月の自民党総裁選で、内閣が変わるのでそれまでサインを無視するか否か?

◉某の今の状況では、本日でなく、少なくとも、7月末頃までは生存していると信じて、もう少し手紙を発信しますよ。では失礼




合掌

九拝




2枚目です。(※以降便箋7枚に渡って記述)




※処で、選出された7人の執行の内容が、オウム末期当時の大臣クラスゆえ、責任の重さが原因との事で納得。

某は、再審請求中の者こそ、逆に執行の対象にされたのかと思い、当初から中川君は選ばれず、林泰男氏が先と考えてもいた。なぜなら、14年前の頃に、某は中川母さんに手紙の中で、中川くんは長期の上告審も考え、更に再審の方法も深く考え当ておられるでしょうと。具体的な内容等を述べたものです。

すると、その返信には中川君からの強いメッセージとして、絶対に再審請求はせず、上告審で総てを出し尽くすつもりとの文言。そうか!と某は改めて彼の覚悟を知ったものでした。しかし、7/7(土)の朝刊の中に『中川は弁護士に対して念入りな再審資料作りの準備を云々…』と記事が載っておりビックリ仰天(笑)果たして、いつごろから翻意したのか?よく解らないけど…。いずれにせよ林氏との区別が再審でなく大臣クラスとしての罪の重さと…。それにしても残念です。中川母さんの人間性が立派なだけに…本当に…。

◉余談として…、残る6人の執行は、多分一日で済ませるとは思えない。(今の川上※ママ法相のままならばとして)考えられるのは、3人づつ2回の執行かと。何故ならば、名拘は東拘や大拘とは違い、職員が少なく足りない分、一日で2人の執行後の休暇4日感を与へるほどの管理システムの空きが全く整ってないから。(笑)・某が先かY君が先かは、分からないが、問題は東拘の残る3人。某は『オウム事件の総括と暗示』の中で、広瀬・豊田・端本の3名の執行だけは止めて欲しいと訴へている。今回、残る6人のメンバーに入っており、少々安堵もしている。もし、川上※ママ法相が、彼らの公判調書を全部読めば、決してサインは出来ぬ筈。特に広瀬君や豊田君は当然にして……と。

名拘のY君は、未だ麻原を盲信する弟子のひとり。それもオウム的宗教信の中毒とすれば本当の意味でこの日本社会(政治も裁判所も心理学も宗教も)は、一人の若者に、死刑を下しても尚、目を醒ませることすら出来なかった。

オウム事件の焦点とは、死を超えてまで盲信する宗教と人の心との関係を、もっと深く追求しなければ再びオウムのような空間を現代人は造り出してしまうのではないか、という憂いが消えぬ証左かと。(因に、遠藤君は最期までグルを帰依し続け、遺体はアーレフが受け取りに来たと。)

⭐︎兎も角、東拘の3人は、最後の生き証人としてでも生き残らせる事かと。有り体に云へば、既に麻原(を含む7名)が執行され、マスコミも被害者も、そして御遺族の殆ども……コメントを知る限り、それなりに納得され、安堵感の声も上がっている。(もちろん、某や林氏とY君が執行されても仕方ないこと。)

 しかし、そもそも、林郁夫氏も大臣なのに無期で、何故、東拘の3人が死刑か?何故麻原と同じ刑なのか?と。東大・早稲田の優秀な頭脳の持ち主を、今、死刑囚として抹殺するのは可笑しくないのか?彼らを、みなし終身刑として上手く活用すれば日本の刑事施設はもっと立派なものとなるのは必至と考えられるのにと。もう麻原は刑死したので、右の彼らは、そっとして置いてほしい。

◉本音を申せば、井上君も早川さんも中川君も、もっと生きていてほしかった。逆に社会に害を為す上祐君がどうしてラジオに出演して記者会見しているのか?という疑問もある。マスコミはいまだに上祐に騙されているのか?アーレフがメディア無視を貫くので、上祐を活用しているのか?と。(新聞を読む限り、井上君は、本当に可哀そうな若者だった。最後まで、自分自身で考えて真の答えを出す迄に至っていないと思う。周囲が甘えさせたからか、干渉が過ぎた所為かと思う。でも、彼は、誰とも違わない仏身であり、神と同じ心の持ち主であったと。肉体を捨てた今、精神で、魂として悟っているかと信じる(たい))

※今、数十年に一度あるかないかの大雨の災害が日本全国的に発生し、すでに100人以上の使者が出ておりますが、もう(※支援者名)ならご存じかと思うが、広島・岡山・京都等を中心にある訳を。某は、中川君と井上君の純粋な意識体がひとつの原因と考えるよ。本当に麻原と同罪の死刑でよかったのか?と。(前述で、名拘では2名の執行は無理と述べましたが、よく調べると9年前と18年前に、一日に2名執行を果たしてました。やはり上級庁からの指示には無理でも承知と。)(中略)

某の状況としては、もう時間がないので、少しでも絵画くことや、ノートへの手記等の記入に、(※支援者名)宛の手紙の為に一分でも一秒でも集中する方向で行くつもりです。(中略)

※某は、早くて二週間後か9月末まで。遅くても11月か12月待つまでは執行と覚悟しております。(3人づつの2回の執行か?わからないけど)残る時間がすでに限られているからと、(※支援者名)の方で、必要以上に意識して、某に対し、お氣遣いは無用ですよ!無理に、発信を多くしたり、何か特別なことをする必要はありません。今迄のままで、普通にやり取り願います。(でも書簡将棋対局が、これでは中断されたままで終了と……少々残念ですね。トホホ…)

(中略)

(※支援者名)さん、(※支援者名)さんは7/6(金)の速報には、愕いていたことでしょうね。そして悲しみと喪失感も加えて、某のことを、心配されていたことと存じます

某は、倖にして、今も生存中でありますが、井上君や中川君のことを想い出すとやり切れません。(昨晩、早川さんやその他も某の処に来ましたね。又、夢にも幾度も出ておりました。)

◉某は、時間のある限り、残るF6色紙と大色紙や新麻紙に、一枚でも多く、絵くこととと、ノートに手紙では触れぬ内容を、詳細に手記として遺すことに専心です。右のF6色紙には果たして、何枚まで絵画けることか?



正直、毎週末(金曜日)のたびに、覚悟し乍らもう最期の手紙と、そう思いつつ発信するしかありませんね(笑)それにしても、これほど充実した日々を過ごせる愚生は、倖せ者です。(後略)

宮前さんと対面したことと今後

宮前一明さんの遺言で遺品を引き取りに行きました。

ご遺体と対面させていただきました。

立ち会われた職員の方によると、執行前は穏やかで落ち着いてて、私に遺品を送るのに迷惑にならないようにと気にされていたとのことです。 
お顔は若い頃より痩せていて、穏やかに眠っているようでした。



午前10時過ぎに名古屋拘置所からご連絡を受け、遺言により遺品を引き取ってほしいとのことを伝えられました。遺品の確認は明日でも良いとのことでしたが、私が明日は予定があるので今日参りました。

15時頃名古屋拘置所につき、マスコミの方が玄関にたくさんみえたので、顔がみえないようにと職員の方が車を出していただき配慮していただいた上で中に入りました。

職員の方から説明や上記最期のご様子をうかがい、遺体と対面させていただきました。
私は外部交通権を持たないので、これまでも面会はしたことがありません。
これが最初で最後の対面となりました。

その後独房内で使われていた日用品、本、衣類、描きかけの絵、貴重品などを確認させていただき、今日持っていくことが難しいものについて私の自宅への郵送手続きをしました。


宮前さんとやりとりをさせていただいてから、非常に几帳面で、優しく、気遣いのある方だと感じておりました。また色々な質問に答えてくださり、さらに役立つならと資料の公開を許してくださり、色々とお世話になり、有り難く思っております。
その人柄と、事件の残虐さのギャップがすごいなと時折感じておりました。どうしてあのような残虐な事件が、あのような穏やかな組織から起こったのか、ご本人は言葉にすることが難しいと表現している部分もありますが、もちろん非常に反省されていて、それゆえのこのブログやwebギャラリーなのだと思います。
なるべく今後も、事件を風化させないように、遺されたものを社会にお役立てしたいと思っております。

管理人

宮前一明さんの死刑執行されたようです。

宮前一明さんの死刑執行されたようです。ご本人から許可をもらっているので、今後も手記や手紙をできるだけupしていきます。よろしくお願いします。

管理人

2018年7月25日水曜日

平成11年の手記②




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○第73号


<上祐氏の素顔>

 饒舌で能動的な人。

 周囲を鼓舞させ邁進するタイプ。しかし言葉で他を納得させたかに見えても心を動かす事まで出来ず、独走するため反感を買うこともしばしばある。

 論破しても、相手を感銘(共感)させ賛同を得なければ徒労であることを未だに分からない人。聴き役に徹することが出来ず、相手の真意がつかめないまま押し通すので齟齬を来すことがある。

 用件以外の前置きや後付けもしない言動はオウムの体質そのものだが彼は自信家ゆえ、当初から無駄のない語り口だった。その為、周囲に多くのストレスを与えていることに全く気づいていない。男性幹部(大師)の中では真面目な修行者といえよう。性欲や食欲に惑わされない、そして情の薄い人。でも、当時、私が尊敬した法友のひとりであったことは確かです。

 麻原との個人的な霊的体験が多く、師弟関係の絆は深い。しかし信徒や法友から特別な能力を認められるような噂は出なかった。T以外で弟子の中では唯一、麻原に否定的な意見を述べ、議論を挑む意固地な人。「おらが大将」の気質は麻原と同郷の九州男児ゆえのものかも知れない。




<麻原との確執>

 麻原はときどき入滅後(麻原の死後)のオウムを憂い、弟子同士の対立セクトを予言するかのように語っていた。

「私が死んだら、多分、マイトレーヤ(上祐)派とX派に分かれるだろうな。お前たち・・・どちらの派閥に付くか?」と言って、ひとりひとりに問いかけたことがあった。昭和63年秋ごろの会議の席上だった。すでにこの頃から麻原は上祐氏をオウム分裂の萌芽と見ていた。

 その後平成元年の夏、選挙(出馬)反対を最後まで訴えていたのは上祐氏、K氏、G氏だった。結局、出馬と同時に参謀のひとりとして活躍したのは上祐氏だった。

その頃、ある会議中に麻原が突然、

「私は、マイトレーヤ如来なんだよな・・・」

とポツリと一言漏らした。間髪を入れず、その場にいた上祐氏が

「ええッ、じゃあ、私は一体何なんだろう?」と頭をかきながら笑った。

 事故の存在を否定されたような麻原の一言に、困惑と皮肉を交えた苦笑いだったように思う。

 上祐氏を無視した麻原の発言かも知れないが、上祐氏はそれ以上に「弥勒菩薩(マイトレーヤ)」の使命を強く意識していた証だと思われる。上祐氏は麻原氏を差し置いて己をマイトレーヤ菩薩(=仏陀の化身)だと自覚していたように思われた。

 同じ頃、麻原が

「私が死んだらお前たち、どうする?」

とひとりずつ訊いたことがあった。

 上祐氏は「3女(アーチャリー)を守護し、オウムの教義を守っていきます」と。

 早川(紀代秀)さんは「どこかの山に篭って瞑想に耽るでしょう」と。

 私は「オウムを広めます」と。

 新実(智光)氏は「死ぬかもしれません。グルについていきます。」と言った。

 最後に麻原が、

「多分、女性大師のほとんどが自殺するだろうな、そして男性大師は対立するだろう」と言った。




 麻原はことあるごとに、上祐氏を引き合いに出して将来のオウムを案じていたことは確かだった。




 平成元年冬ごろにオウムの体制を変える議題になった。その中で教義の強化部長の選任をするにあたり、麻原はこう述べた。

「(教義の強化部長には)マイトレーヤ(上祐氏)しかいないだろう。オウムの教義については、討論したら、多分、私の方が負けてしまうよ」と。

 当時麻原は上祐氏をもはや、教義や理屈では説得不可能な弟子、と見ていたのかも知れない。

 しかし、麻原が生きている限り師弟関係が逆転することはないだろうと思っていた。




 上祐氏は95年10月、破防法の発動を強くおそれ、「麻原を切る」とある政治ジャーナリストに漏らしていた。

「麻原を切り、オウムの名前をなくし、単なるサークルにする」とまで告白していたという。

 その後、上祐氏は荒木広報副部長宛に獄中書簡でこう述べている。

「教祖・代表を辞した尊師には公の責任さえない。又、教団は現実、多様化していくと思う。今の長老部の長の正大師(3女)や新しい教祖の方が日々成長されておられるからだ」と。

 要するに、麻原はすでにオウムの挙措・代表でないから教団の将来については公の責任さえない。と断言したのだ。今、信徒10名が麻原の私選弁護人を目標に司法試験に挑戦していると噂されている。

 この意味合いについても上祐は、

「仮に尊師の私選弁護人が誕生しても、それは全く関係ないことである」

と無碍もなく言い捨てた。

 上祐氏には、麻原をオウムの将来に不必要な存在として映っているのかもしれない。

 麻原を捨て、新たな教祖を庇護する体制を虎視眈々と構築しつつあると見るべきかもしれない。

 ちなみに、上祐氏はその書簡の中で、マスコミや世論の糾弾を「誤解だ」と言い切り、「尊師の予言であり未来予測のための貴重な示唆であって、すべての人々に対する重要な警告のメッセージであると考えている」と言っている。

 だが、笑止千万、詭弁もここまで来ると児戯としか言えない。




 昭和63年11月15日午後10時から開かれた大師会議の<オウムの方向性>の内容をご覧いただきたい。

この中で上祐氏は

「信者集めのプロパガンダとか国家転覆計画と結びついているという誤解と不安があるため、自分の考えているところを十分詳しく書くことによってそれを取り除きたいと思うからだ」

と息巻いている。彼は、自分でもわからずに欺瞞の弁を重ねている。

 11年前から麻原はプロパガンダのためには何をどう為すべきか、と大師会議の場で独断場のごとくと滔々と述べていたのである。

 それを知りつつ、よくもまあ、シラを切り、ヌケヌケと「誤解だ」と言えたものだ。

 麻原やオウムに不信を抱きつつある純粋な荒木(浩)君に欺瞞と詭弁を重ねつつ、どうにか教団に引き留めようとしても、もはや遅いのではないか。観念するときが来た、と諦めるべきだ。

 当時、「尊敬に値する法友」と心から賛辞した、私から一言。

 上祐氏よ、麻原を捨てるなら、オウムの教義も捨てよ、そして詭弁をなくし、真実を語れ・・・と。




○第74号




 前略、お手紙拝見しました。井上君の精神鑑定、不可解な部分と新たな一面を垣間見た気分です。一言、述べさせていただければ……。

 やはり、新実、土谷、中川、N、KS等、未だに呪縛が解けない愛弟子達を鑑定しなければ、本物ではありません。手記に対するいくつかのご指摘誠にありがとうございます。

 よりバランスのとれた表現を考慮しているつもりですが、偏見や思い込みのため、肩に力がはいってしまいがちになります。どうかその編は御寛大な目で見守っていただくことを心から願います。

 ご遺族や被害者への思いは忘れません。常にテーブルにはさちよさんの調書が在り、貴兄から送付された御戒名がありますので。後日、<冒頭文>の仲で、謝罪・反省文を挿入するつもりです。

 読者の偏見や先入観をスムーズに取り除くためには、何よりも<謙虚さ>と<世論のイメージ>を知ることだと思います。まだまだ世間知らずで不勉強な私ですが、これからも末永くご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 では、前回の続きです。




<上祐の危険度>

 当時、上祐氏はポアを強く否定する弟子でした。

 昭和63年11月17日深夜、名古屋支部営業のH君が自損事故に遭い、病院の集中治療室で生死をさまよっていた。その知らせを受け、麻原は富士のサティアンからH君の意識をコントロールしていた。脇待する石井、上祐に向かって「今意識を肉体に戻したぞ」と告げ、「確認してみろ」と言った。病院でH君を見守る弟子にその旨を知らせると、H君の意識が戻ったという返事があった。それから数時間、麻原は意識の出し入れを繰り返し、H君の将来を見据えた結果「ポアするしかないな」と判断し、ポアに至ったと言った。その直後、H君を見守っていた弟子から死亡の知らせが来た。

 上祐氏はこの時、「どうしてポアしたんですか」と猛烈に抗議した。

 麻原は「生きていても修行できないじゃないか。功徳が積めないならポアするしかないんだよ」と弁明した。

「それでもいいじゃないですか。いくらなんでもポアする必要はないでしょう。」と上祐は食ってかかった。憤りは納まらず、上祐氏はドアを勢い良く開け、走るようにして部屋を出ていったという。私は上祐氏が目を赤く腫らして麻原の部屋から出てくる場面に遭遇した。

 私は入れ替わるように部屋に入った。

 椅子に座っていた麻原は、話の途中だった。

「仕方なかったんだ。それが一番なんだよ」と繰り返していた。

 最後に、ポアの決断を逡巡するかのような渋面な面持ちのまま、上祐氏の座っていた方に向いて、つぶやくように言っていた。




 ことの経緯を知り、当時の私は、ポアされたH君よりも「グル」の判断に対して猛烈に非難した上祐氏の方に衝撃を受けた。当時の私はポアを信じていたからだ。今は違います。

 以前から麻原の過激な発言や突飛な発想に対し、悉く意見(討論)していた上祐氏が、教団の行く末について憂慮する思いは感じていた。

 ただ、「グル」と弟子との霊的な領域にまで鑑賞し、強く反発するとは、当時の私は夢にも思わなかった。

 それからの麻原の上祐氏の印象は<決して、どんな理由があろうと、無理難題な麻原の指示・命令には従わない人>と意識していたように思う。




 その後に起こった田口さん殺害事件や坂本さん一家事件に上祐氏は呼ばれることもなく関与していない。選挙出馬にも最後まで反対し続けた。

(※この後、宮前氏は選挙期間中にオウムを脱会し事件を隠したまま生活を営んでいた)




 それから、のちの上祐氏はロシア渋のトップとして布教活動に尽力し、オウムの表看板(プロパガンダ)として活躍していたと仄聞する。

 95年10月に上祐氏が逮捕された時も、まさか凶悪犯罪に関与するわけがないと信じていた。

 だから、たとえ上祐氏がオウムに戻ったとしても、<まさか、ヴァジラヤーナを肯定し、発動するわけがない>と、安易に思っていたのです。




 ところが、今年の春頃、オウムの信徒数が増え続けていることがわかりました。又、全国各地で住民とのトラブルが相次ぎ、ダミー会社の収益がオウム拠点作りの資金源となり、上祐氏の手記が荒木(浩)君を介してオウムのHPやマスコミで公表され、上祐復帰の不安情報が湧き上がってきました。その頃から、徐々に憂慮せざるを得なくなったのです。




 新たな情報として上祐氏の一面を知ることとなり驚愕したのも、一つの原因でした。

 それは、M君と井上(嘉浩)君の公判証言です。サリン量産計画の中で上祐は、

「7トンのプラントを造るんじゃないですか」

と言ったとか、炭疽菌の生成指示で、麻原が井上君に

「上祐にやらせるから、上祐の下で仕事しろ」

と言ったという内容です。

 上祐氏はまさにヴァジラヤーナの先鋒に立って指揮する立場にあると思いました。

 一体、いつから上祐氏はヴァジラヤーナを肯定したのか、私は悩みました。




 そういえば、こんなことがあった。

 平成元年11月15日の三面記事に、坂本(堤)さん宅の寝室に<プルシャ>(教団で霊的エネルギーが宿るとされているバッジ)が落ちていた、という写真が掲載された。その日、麻原と実行犯6人が図書室で密談していると、突然上祐氏が入ってきた。

「何ですか、これは『プルシャが落ちてた』といってこんなにデカデカと載ってるじゃないですか!」

と新聞を拡げ、右手でパンッ、パンッと叩きながら皆を蔑視するかのような嘲笑を投げかけて、言い切りました。

 麻原は「もしかしたら在家信徒が殺ったとしても、おかしくはないなァー」と惚けていた。

 上祐氏は間髪を入れず、

「どうせやるなら、こういうミスだけはやってほしくないですねェー」

と暗喩めいた皮肉を訴えた。

 この時、私も早川(紀代秀=坂本弁護士事件の実行犯の一人)も、上祐氏は全く事情を知らないと思っていた。又、麻原の態度を見て、疑うことはなかった。




 しかし、よくよく考えると上祐氏の言葉にはすでにポアを肯定していた節があった。

<どうせやるなら>とか<ミスだけはやってほしくない>という内容だ。

 1年前(H君の事故のとき)の上祐氏ならば

「何ですか、これは、もしかしたら尊師が指示を出したんじゃないでしょうね?」

とか、

「オウムと関係あるんですか、本当のことを教えて下さい」

とか、

「オウムを潰す気ですか、こんなバカなことをやって・・・」

と怒声と共に烈火の如く怒り狂っていたにちがいない。しかし、この日上祐氏は、皮肉だけを述べ、あとは冷静になり<プルシャ>からオウム信徒につながる<犯人像>を否定する記者会見の弁明を考えていた。やはり、平成元年10月31日夜の報告の席で、上祐氏が坂本弁護士から言われた言葉が原因だったのだろうか?

 当時、上祐氏は坂本弁護士との話し合いの後

「親が家に戻れ、といえば子供は戻らなければいけないんだ。そして私(上祐)にでさえ『そうだ、あなたも戻らなければいけないんだ』と言うんです。どう思いますか。」

 と言っていつになく憤り、憤懣やるかたない勢いだったことを覚えています。




 激怒した上祐の勢いに便乗して麻原は坂本さんのポア(殺害)を決断したのだろうか?

 しかし、26日に中川(智正)君はすでに注射を用意していた。




 当初の標的は坂本弁護士ではなく、(オウム真理教について批判的な記事を書いた)牧太郎氏だったと彼らの調書で知ったが、いつ坂本弁護士に決定したのか、未だに分からない。




 事件後、世間の目を交わすためにトンズラ旅行をしていた。その旅行の終わりの頃にインド奥地のあるホテルで、MKさんが戒律をおかし、麻原に懺悔した。

「私をポアして下さい」

と言うMKさんに対して、麻原は上祐氏を呼びMKさんと話をさせた。

すると「本人が望んでいるなら、そうするしかないでしょう」と、いとも簡単にポアを肯定した。

 私は、麻原から上祐氏がすんなりポアを肯定している、と聞いた時に、驚くと同時に<もう、彼は人間界のしがらみを超えてしまったのか>と無機的な侘しさを思った。

 結局、MKさんは他の大師からの反対もあり、ポアはされなかった。




 帰国してすぐに、上祐氏はオウムで3人目の正悟師となった。

 間抜けな私は当時、まったく気づかなかったが、すでに上祐氏はヴァジラヤーナの道程に踏み込んでいたのだと思う。

 だからこそ、<プルシャ>の記事を見ても堂々と揶揄できた。

 また、フィアンセだった彼女がポアを望んだ時も、是非もなく肯定できたのだと思う。




 そういえば、こんなエピソードがあった。あれは平成元年の春頃、私、早川(紀代秀)さん、上祐氏、SM氏が図書館にいたときだった。麻原から、

「今から上祐と○○(※『?』の注釈がついている)が対立してディベート合戦をしろ。題は、輪廻生が存在するのを納得させる側とそれを否定する側に立って、やってみろ」と言われた。

 しかし結局、討論はもつれてしまい、ディベート合戦とは呼べなかった。すると唐突に上祐氏が本音を語り出した。

「実は僕は、未だに尊師の全てを信じていません。本当に最終解脱の世界が存在するか分からないからです。しかしいままで体験した実体験は本物だった。尊師の言われたままのものでした。だからこそ、今、ここに居るのです。これからもまだ最終解脱というレベルに到達するまでは100%信用しないでしょう。でも現時点までの消えは疑うことはありません。まだ内面に不安や焦りが心のそこにあるかもしれませんね。」と。

 聴きようによっては、麻原への反乱と思えるような告白ですが、上祐氏らしい本音と思いました。

 彼はひとつひとつの事象を見つめ、確認し、納得しなければ前に進めない頑固な人なのでしょう。




 また、彼はあるインタビューでこう答えていました。

「最初の1年ぐらいは現世と出家修行の間を心が行ったり来たりして、現世に戻ろうかな、と考えたこともあるし、2年目ぐらいになって修行で成功できるか分からないが、現世に戻っても、先が見えているなという感覚になって、4年目くらいで修行のある一定ので以下が出て。」

と告白している。4年目とはマハームドラーの成就の年です。

 彼は平成元年11月ごとからすでにヴァジラヤーナを肯定する弟子のひとりだったのです。

 そして、今、上祐氏は麻原を開祖と呼び、新たな教祖(長男)を祭り上げようとしている。

 上祐氏は自分自身を<弥勒菩薩=仏陀の化身>だと信じている。パラノイアの疑いがあると言われても仕方がないように感じる。




 95年、麻原逮捕の後、信徒でもない政治ジャーナリストに、上祐氏は<麻原を切る>とまで言い切り告白した。

 師弟関係が逆転することはあり得ないが、将来、上祐が教祖となった長男の手綱をさばく傀儡師となる可能性は十二分にあり得ることだと感じる。もちろん教義が変わらなければ、ヴァジラヤーナの封印もいつでも解かれる恐れが存在する。




<過剰な差別・迫害は禍根の憂いに>

 オウムの末端信徒(個人)に対する偏見や差別はなくして欲しいと思います。

 彼らは本来純粋で素直な、そして信仰心が高じて出家した人たちです。マスコミや警察のゴシップ情報により、全国各地でトラブルが発生しています。が、人権を虫した過剰な差別や迫害は大きな禍根を残すことにもなりかねません。

 麻原の4女や長男がある小学校に在籍していながら、一度も投稿できない事実は、いわば社会的制裁か精神的児童虐待ではないでしょうか。

 この問題は、日本特有(村社会)おん差別と偏見としか言いようがありません。塾で多くの子供達と接してきただけに子供達の環境がどんなに大切なことかよく分かるのです。これ以上、悲しい思いを子供達に残さないで欲しいのです。麻原は6歳のとき、両親から全盲だと嘘を付くように強いられて家族から話され、孤独の仲で自分を偽りながら幼少年期を過ごしてきたのです。

 その結果、父母や兄弟、オトナたち、学校、社会に対し怨嗟の念を膨らませ、大学受験に失敗し、世を拗ね、宗教を藉口し教祖となり、オウム王国を創るに至った。

 ならば一度も学校に投稿できずに育てられた麻原の子供達はどうなるのだろうか。

 同世代の子供達と遊ぶこともできず、幼少年期を過ごさなければいけないほどの社会的制裁は彼らに必要なのだろうか。

 そのような体験を持つ子供達が果たして恨みの念を抱くことなく健全に成長していくのだろうか。第2、第3の麻原を造ることにならないだろうか。



 麻原ひとりのトラウマがサリンまで行き着いてしまったのです。


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つづく。

平成11年の手記①

平成11年手記 当時の記者にあてたもの。

※場合によってイニシャルにしています。

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○第68号

 なによりも問題なのは、悪女・石井久子が坂本事件の殺害幇助罪(資金調達)や遺体遺棄謀議と証拠隠滅罪で逮捕されないことです。要するに石井久子が逮捕されないのに、どうしてA(※宮前氏の先妻)(墨塗り)さんが罪を被ることがあろうか。

 そんな不条理なことはありえない、と言うことです。100%、(墨塗り)さんは罪を被ることはないのです。もっともすでに時効ですし、もし逮捕されるとすれば、石井久子だけです。

 元に戻って、だからといって実行犯である私が6年もの間、宇部市で普通に行動(生活)していたことは赦されません。十二分に反省しなければいけません。




 そして、12月の上祐出所の件及びオウムの行方についてですが、以前、面会時にその旨について手記を書いてもらうだろう、との発言がありましたが、<上祐の素顔>と<オウム信徒の行方と今後の活動>と<長老部6人衆の素顔>と<坂本事件前後・上祐の動向>と<上祐と麻原との確執>などなど、調書や添付資料も含め、当時の体験なども盛り込んで手記を書いてみたいのですが如何でしょう。




○第69号

 上祐の出所によってオウムの行方・上祐自身の行動や新たな活動長老部との軋轢やイニシアチブの動向も大切な注目点といえます。

 最後に、オウムの中心となるだろう上祐の素顔と上祐と麻原の確執。

 あの坂本事件前後の上祐の動向から推測できる今後の活動。

 上祐のリーダーシップ力やカリスマ性、そしてオウムの変貌が果たして起こり得るのか否か、又は、分裂するのか等、様々な意見や推論憶測も多分に演べられるべきだと思うのです。(石井や知子の出所後のことは別にして)




 よって、項目は、どのように分けても治ると思います。ただ、勝手な見解ばかり述べて恐縮ですが、ある程度、目標を設定しないと気分が乗り切れない気質なので、その辺の処は宜しく。




 昨日の接見で、オウムが将来、同和問題や在日外国人問題と同様の差別・迫害偏見観といった人権を無視するような禍根を残すことは常に避けたい、触れてはいけない、と思い世相がその流れに向かっているのを私は危惧していることを多少述べました。

 しかしこれは、現時点で声を大にして発言できる問題ではないことも解ります。もし誤解されるとオウム存置派と間違えられますので。

 ただ、私が訴えたいのは、まずオウムを徹底的に解散させること。そして麻原の子供を国が保護もしくは管理しないと、再びオウムが復活するのだ、と警句したいのです。

 これは10年後、20年後の近い将来のことであり、貴殿の2子の将来にも深く影響するものだと、危惧するから、訴えるのです。(オウムに入信したほとんどのものは私とは違った豊かに育った良い子ばかりだったので、怖いのですよ)




○第70号

 先日発信した69号の手紙の内容は多少、拙速な感じも否めません。港然としたイメージだけに、それなりの方向を示されないと不安な面もあったのでしょう。焦った末の要望だとお考え下さい。




 しかし今は違います。ここ数日間、当時の自分に戻っていたところ……。

 その頃の体験・手帳などの資料・調書(他被告も含む)・オウム関連の本・多くの記事(スクラップ)・そして多くの記憶等で援用した結果、オウムの体質と上祐の特性と気質からくる特異(宗教的)な展開に収斂され、思わぬ方向へと導かれるはずだと、ビジョンに現れました。

 帰一するところ、やはり上祐は、オウムを復活させる。悪種の萌芽となる。麻原の子供を床の間の餅に見立てて、傀儡師となる道を選ぶであろう、と。

 すでに69号のなかで10項目ほど掲げています。(※この項目は残っていない。)2,3,4,6は間違いありません。問題は順位と変遷の時期でしょう。

 上祐の素顔や秘密のエピソードそして坂本事件時の動向や95年オウム騒動中の活動等々、マスコミや考案そして在家信徒でも思いつかない上祐の腹の内が見えてきました。期待して下さい。




○第71号

 先週はO氏の件で田口事件の記憶喚起を含め、内省を深めていた所為もあり、こちらの方が多少、おろそかになりました。

 渡辺象二郎の上祐インタビューの本2冊や、武田(※頼政)さんから頂いた筆写文等、考えれば考えるほど複雑な結果を招くばかりです。

 草稿はすでにたくさん用意してあるのに、これだ!といったオウムの行方が掴めません。しかし、私は、予言者ではありませんので、過去の例や今の状況を正確に把握して結論を出して行くつもりです。

 今週からできれば毎日発信するつもりです。以下、とりあえず憶測ばかりですがアトランダムに書きました。




<麻原に帰依する限りヴァジラヤーナは無くならない>

 オウムの体質が依然変化しないことが証明された。

 10月17日、オウム長老部からの手紙(松本サリン被告人宛)の回答で明らかにされたからです。

 多くの被害者、ご遺族に対して「償うというより修行すべきだ」とか、「夢のなかの子供の死のようなものである」と言ったものだった。

 あるまじき不遜の言動からして独善的、破壊しそうは未だ機能し続けていることが分かり愕然となりました。

 当時、ヴァジラヤーナの使命を与えられずに助かった彼らでさえ、未だに麻原を絶対視、反省する意思も何も感じられないことに憤りを感じます。

 何でも、「グルの意思です」と端的な回答で、オウム事件をむしろ、賞賛している態度が赦せません。

 古参・新参(出家・在家)にかかわらず、未だにヴァジラヤーナの教えを、崇高なものと盲信する彼らの精神構造は、もはや狂気としかいえない。




<封印に騙されてはいけない>

 麻原がヴァジラヤーナは<封印>しました。と言及したが、裏を返せば温存しているだけだ。

 <封印>は排除・消滅とは違う。いつでも<開帳>し発動できる状態を維持している、という証拠だ。信徒(弟子達)全員がヴァジラヤーナを全面的に否定し、その発動源である麻原を非難・追及しなければオウムの体質は何ら変わらない。

 弟子達は今だに現実を直視できずにいる。現時点をひとつの修行だと思い込んでいる。




 オウムは麻原絶対のカルト教団であり、大乗思想とはいえない。他を利する修行でなく、麻原ひとりを利するものだった。魂の救済とはほど遠い、何の価値もない修行だったことに1日も早く気づかなければいけない。弟子達の修行の目標が麻原との精神融合(合一)である限り、オウムの体質は依然変わることがないだろう。

 弟子達の胸にプルシャがある限り、麻原への信仰は揺るがない。彼らは未だ社会性が身に付いていない純粋な修行者なんです。

 どうか一人一人を扶けてほしい。

 いたずらに敵対心を露わにせずもっと優しく静かに諭して欲しい。人間の本質を語ってやって下さい。




<上祐出所後の動向>

 まずメディアを最大限に活用し、大々的な記者会見をおこなうだろう。表面は幹部(当たり障りのない)の誰かを代表に見立て、謝罪表明と意味不明な補償プランを発表するでしょう。

 その目的は、オウム信徒の救済である。決して社会に受け入れられるための社会復帰とは違う。

 彼が被害者やご遺族の心痛を思いやり、思いを馳せることなどあり得ない。謝罪・補償の本質はオウム空間の維持であり組織防衛的なものだ。そしてオウム法案への牽制と世の非難をかわすためだ。

 多くのダミー会社を設立して教団の資金を分配し隠匿していきたシステムの延命を巧みに企てるためのパフォーマンスに過ぎないだろう。彼も他の幹部たちも、ご遺族や被害者への謝罪・補償が当然であることを全く分かっていない。だから今まで無視し続けて来たのだ。

 謝罪・補償表明と引き替えに上祐はこう訴えるだろう。

「オウムの信徒たちを見守って下さい。罪のない、多くの弟子達にどうか優しく接して下さい。お願いします。」と。

 謝罪・補償さえ済めばもう終りだ、と考えているだろう。

 被害者、ご遺族の心の傷跡は一生消えないことを知る由もない。

 真の苦しみとは修行ではなく、他人へ与えた苦しみの深さを知ることであり、罪の深さから逃れることなく退治し内省することではないだろうか。彼らにはオウムに入信する前の純粋な信仰心に戻っていただきたい。そう心から祈るばかりです。




<オウム長老部は有名無実>

 真の最高意思決定機関は上祐、知子、石井と、そして長女の4人である。

 上祐は2年前、出家信徒と養子縁組をし教団との意思伝達を確保した。石井は逮捕直前に長老部のKを石井籍に入籍させ、オウム長老部を見守りつつ、我が子(麻原の子)を教団内で育てていた。多数の殺害事件に関与したことを黙殺したまま未だに起訴されず、ほくそ笑んでいる。

 知子も真島事件・坂本さん一家事件に関与していなから未だにシラを切り通したままだ。接見解除と同時に再びマスコミに媚を売り、オウム長老部を隠れ蓑にして実権を握っている。

 外では、上祐の用紙、K(長老)、知子が麻原の長女と暗渠に繋がっている。今、オウム最高位の正大師の3人と長女がオウムの行方を占っている。




 今日は憶測分ばかりで恐縮です。




○第72号

 前回の続きです。以下宜しく。




<オウム長老部の素顔>

 オウム長老部の5人(Mさん、野田(※成人)君、K氏、二ノ宮君、SS氏)は麻原が逮捕された頃に突如、任命され正悟師に就いた。残る一人、SM氏は無罪判決を得た功徳で任命されたものだった。

 当時、正悟師以上の幹部たちが逮捕、基礎され、組織の中枢を担うべく愛弟子たちが根こそぎさらわれたため、窮地に追い込まれていた。

 緊急措置として長老部が設立された。

 サマナのなかでリーダー格を抜擢するとすれば彼ら以外にもう残っていなかった、といえる。

 ただし問題があった。

 オウムでは正悟師(マハームドラーの成就)に就くと、その都度、祝賀式典を行なっていた。それほど少ない成就の座を彼らに与えたのだ。

 しかし覚醒の体験もなく、他のサマナはもとより、当人も慌てるばかりで、自他共に認識不足でしかない。

 もちろん、成就に必要な内面的覚醒がないため他のサマナに成就体験が語れない。よってサマナからの信頼が薄くなることは確かといえよう。

 しかし、グルの一声がすべてのオウムだけに信じる以外にない。(因みに私は91年6月、新實(※智光)君からマハームドラー〔正悟師〕の内面的覚醒及び諸現象を聴聞したことがある)




<6人の特性と気質>

・Mさんは、昭和63年に出家し翻訳班に配属。平成元年1月、私、上祐、石井ら7名と一緒にインドに行き通訳として活躍。同年の12月のトンズラ旅行で麻原と一緒に同行。インドにてホーリーネームを授かる。そのとき、本人はキョトンとしてた。根っからのお嬢様なのか能天気なのか、いつも緊張感がなくおっとりしていた。たとえどんなことが起こっても決して慌てず愕かない、というよりも気付かないタイプの女性。(いつも意識が別の空間にある人)明るく純粋で、少女のまま大人になった人。

 麻原が彼女を代表代行に任命したのも無理はない。どんな新r夏な質問にも的外れな明るい回答しか吐かないだろうと踏んだに違いない。

 いわゆるイメージ戦略のひとつだった。どこから見ても「平和な人」は未だにヴァジラヤーナの恐ろしさを知らない。

 彼女はもちろん大師会議にも幹部会議にも一度も呼ばれたことがない。




・野田君は昭和62年秋頃に出家の決意をした。理由は週初臆しても先が見えている。オウムなら将来、幹部になれるかもしれない。という極めて不純な動機だった。

 当時、和田平セミナーで50Lのガージャカラニー(塩水を飲んで吐く)を続け、持病の喘息を完治したのがキッカケとなった。

 上祐の下でワークを積んだ彼は、事務能力には長けているが対人能力では劣っていた。プライドが強いので感情をコントロールするのが下手だった。しかし情熱的で一途なところもある。実直で優秀な秘書タイプの弟子だといえる。彼も幹部会議や大師会議に出席したことがない。




・K氏

 上祐氏と同時期に出家した子三振と。出家当初から音楽班のリーダーとして活躍。95年まで続け他のワークを経験したことがない。

 当初から女性大師との問題が多く、恋多きミュージシャンの人。

 否定観念が強く麻原と議論を交わしたことがありでしならぬ言動を吐きグルの逆鱗に触れることもあった。話好きで独特な持論を滔 々と喋り出す異色の法友であり、理論派で頭の良い人だった。

 しかし幹部会議に呼ばれたことがない。(ホーリーネームはグルからではなく『村井さんに授けられた』と文句を言っていた)




・二ノ宮耕一君

 昭和61年秋頃に出家した最古参の弟子。

 グルの意思、グルの命令以外は何もしない人。法友の言葉(忠告)を受け付けず虫する無骨・強情なタイプ思い込みが強く柔軟性に欠ける。特技はマンガ書きと料理。当初デザイン班に配属されたが仕事にならず、福岡支部へ移転。在家信徒から不評を買い問題となり仙台支部へ移る。その後、横浜支部長として勤める。早くからホーリーネームを与えられたが大師会議に呼ばれたことが一度もない。

「グルは私のすべてです」と胸を張って言い切れる新實君のような献身(盲従)派。在家信徒の扱いには慣れているがサマナとの軋轢が多く教団運営の指導力はない。

 チームワークに参加できないため会議に参加できず麻原の側近として重用されることは一度もなかった。




・SM氏

 上祐氏と同時期に出家した古参幹部の一人。

 上祐氏を尊敬する仲の良い法友。出家当初から機関紙の編集長として活躍

しかし、知子から「性欲のカルマさえ克服できれば問題ないのに」(※このかぎかっこ部分に赤線と『?』の文字が入っている)と皮肉られた弟子の一人。

 ある大師会議で麻原が「ヴァジラヤーナを選択しなければならなくなったときどうするか?」とひとりひとり訊かれたことがあった。そのとき、唯一人断ったのがSM氏であった。当時、100%グルに消えできない心のしこりがあったのだろう。

 いつも大師・幹部会議に出席しており、麻原の表裏を知り尽くしていた弟子だった。胸の裡が即、顔色に出る好き嫌いの強いプライドの高い人だった。綺語、揶揄も多く陰険に見られた。しかし麻原は「こんな暗いタイプが物書きに向いているんだよな」と言って、石井の前で褒めていた。

 知子には頭が上がらない弟子の一人であった。




・SS氏

 弟のSMさんの実兄だが出家は数ヶ月遅れた。社会経験も豊富で該博な人。編集部や教義の翻訳そして印刷関係全般のワークを自在に熟す人。白黒思考が強い。時として早川(※紀代秀)さん以上に怒声を揚げ近畿な発言も吐いた。しかし根は素直で優しい人。感情さえうまくコントロール出来れば最高の側近といえる。当時、私が最も尊敬していた法友のひとりです。大師・幹部会議に出席し、グルからも重用された弟子。だが側近の愛弟子として上祐クラスに居なかったのが不思議だ。

 彼も知子には頭が上がらないタイプだった。兄弟とも仲が良く喧嘩はない。二人とも上祐派であることは間違いないが、それ以上の権力はやはり知子の一声である。



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つづく。平成11年の手記②

宮前一明さんによる上祐史浩氏批判

管理人のブログに置いていたものをまとめて再掲しておきます。

宮前一明さんによる上祐史浩氏批判
宮前一明さんによる上祐史浩氏批判-坂本弁護士の文言について
宮前一明さんによる上祐史浩氏批判-坂本弁護士の文言について2