2018年5月31日木曜日

オウム事件の総括と暗示④

オウム事件の総括と暗示④

<解明から、解決への道程とは>

 麻原(彰晃)は、自称最終解脱の前にオウム神仙の会の頃からインドのダラムサーラへ赴き、ダライラマ法王14世と会見し、布施行を実践してます。そして坂本弁護士一家事件の直後も同様に、ダライラマ法王と会見し、法王のグルであるリンポチェクラスのチベット僧でさえ、麻原を見抜けなかった。その後、数々の犯罪を重ねる中、スリランカの各長老とも会見していたが、やはり、上座仏教の高僧でも麻原を見抜けなかった。

 そして日本でも、大徳寺の管長は、オウムへ土地を売るために麻原と会見し、麻原からオウムへの布施本を手渡されて、「勉強しなさい」と言われているのだから、禪の老師でも、大伽藍を守る盲のトップでは、企業の社長と同じレベルであると言えましょう。

 麻原と対談したビートたけしや大島渚氏や各有名人や学者の多くが麻原を見抜けないのは当然としても、観音菩薩の化身と称するダライラマやそのグルであるリンポチェや特別な能力を有する老僧といえども麻原の悪業を見切れないのは、どうしてなのか?

 それは各宗派のドグマに当人自身が陥穽しており、真の意味で、善も悪も無い二元対立の観念である囚われの心から離れた状態にあるからでしょう。その状態の心に至ることが彼らの修行の一つなのであり、さらにその先の先まで至ってもなお、心が現象界に在る限り、見切れないものでありましょう。

 そもそも仏教は宗教であってはならないと仏陀は説いています。また神仏を奉こともありません。

 仏教とは、信仰でなく、実践哲学であり、この現象界から離れる輪廻の解脱なのです。

 仏陀は、入滅直前に、「自灯明、法灯明」と仰ってます。これは、自己を見詰めよ、そして自然から感得せよ、というものです。要するに、人とは何かを哲学し自然という現象界を見て、よく考え見極めなさい、という暗示でもあるのでしょう。

 宗教のドグマ(教義)に感化され易い人間という生物は、無明の渦中に在ることに気づかぬまま輪廻の無常に流されているのだと。

 禪は、本来、功徳を否定します。それに囚わぬことであり、マーヤ(自我)の脱落と滅尽のために祖師禪があり、ダルマの教えが仏陀の法と重なるのです。

 禪も仏教も宗教でなく、自我の脱落によって無明から離れる法であるのです。

 そうすると、宗教に依存するのではなく、須く自分の頭でよく考え、物事の本質を哲学することが、オウム事件の解明から解決へと至る道程の暗示と言えるのえはないでしょうか。

 私の養父心山老師(玉龍寺住職)は、当初から、仏陀とダルマの禪理を唱えてました。故に、頭からオウムの出家信徒を否定せず、その修行における指向性と真面目な態度に、むしろ感化され、快く彼らの相談に乗って、何十人もの脱会を果たされたのです。そして、その中から、数人もの禪の師家を誕生させたのですから。

 心山老師が常々仰るように、麻原に正師となるホンモノの師が存在していれば、迷うことはなかったと。その通りでした。麻原がシヴァ神を信仰せず生きた正師をグルと仰いでいたらと、残念でなりません。

 今更、この場で、マインドコントロールの数々を詳細に語るのは控えますが、最後に思うことは、やはり法友であった純粋な若者たちが死刑囚としてこの世を去ることです。しかしそうなってほしくありません。

 麻原や、未だに盲従している暗愚な弟子たちは別にして、やはり、広瀬健一君や豊田亨君、端本悟君たちは、生きていてほしい。別に私のことはどうでもいいのです。彼らは、在学中に出家して、社会経験の無いまま洗脳されたような、純粋犠牲者の一人です。

 彼らの親御さんも、被害者のご遺族と同じ気持ちであることを考えると、マスコミや世間様においては、許す、許さぬという感情論に訴える心の状態を、敢えて一歩手前で冷静になってほしいものです。そして、人とは、一体、なぜ、罪を犯し、人を裁けるのか、と改めて哲学を初めてほしいと両掌を合わせます。それが仏陀の考えですから。

 そして、真の平和とは、怒りや感情から離れることであり、安心こそ癒しの空間のはずです。そのような空間を創り出すため、一人一人がよく考え、哲学し、真の自由意志を得ることで、愚かな行いを無くして欲しいと心から祈念いたします。


合掌


平成23年12月8日(木)
正偏(ぎょうにんべんに扁)智 vol.41.42 平成24年5月発行に収録

2018年5月30日水曜日

オウム事件の総括と暗示③

オウム事件の総括と暗示③

<麻原が黙殺しても万全の証拠>

 法廷で、麻原が黙殺したまま証言を拒否するから『何一つ解明されなかった』という考え方も大きな間違いです。

 麻原に対して、オウム草創期からの経験や事件当時の背景やその状況を、麻原の記憶の中で言葉にして示せと言っても、それは困難です。やはり学歴優秀で真面目な弟子たちの証言の方が正確ですし、私のように18冊もの手帳を持っていた証人の方が間違いが少ないです。

 それよりも、最も正確で麻原の当時を語る物が存在します。それは、麻原の説法であり、録音テープやCD、そして書籍数十冊の証拠品です。

 これらの中に、事件の端諸となる重要なフレーズやポア(魂を移し替える殺人の肯定やドグマ)やヴァジラヤーナ(悪業をグルのマハームドラーとして弟子の修行とする)の説法は十分い語り尽くされていたのです。

 これらは、特別の秘技でもなく、公にして教えの一つとされ、事件の当日や前後で、説法がガラリと変化する内容のものも含め、麻原の心境や教義の編成における経過もハッキリとした証拠品の一部なのです。

 これだけの証拠品がそろっており、時系列に沿って、麻原が弟子たちをロボットの如く操り、地下鉄サリン事件までに至った背景の全貌と、オウム特有のマインドコントロールの全ては、もうすでに、メディアには、出し尽くされていたのです。

 滝本太郎弁護士のみでなく、多くの心理学者や宗教学者も協力して、その解明に尽力され、一定の解釈はされているのに、なぜ、未だに『何一つ解明されぬまま』というフレーズが野放しになっているのか。実のところ、真に的を射たフレーズとは『何一つ癒されぬまま』であって、解明されては困るものかもしれません。

 世間では、やはり未だに存在するオウムの組織でる団体(アーレフとひかりの輪とロシアのグループ)が活動し、むしろ増加しているという不安と恐怖心に煽られ、さらに、どうして、カルト宗教が今もなお残っているのかという不思議さというよりも、許されぬという不信感と不可解な気持ちで一杯なのです。

 その反映としてのフレーズが、それなのであり、もう一つの理由は、宗教の価値観と世俗のモラルに歴史的なギャップがあることへの大きな溝を塞ぐためのカモフラージュなのかもしれません。

 国民の誰もが、「私は絶対にマインドコントロールされない」と確信しているからかもしれません。同じく、私自身、オウムに出家した時、利他行と解脱を信じていたので、犯罪や他人を不幸にすることなど、以っての他と声を大にして、修行と布施行を歓んでやっていたものでした。そして、「まさか、あの人が」と心の底から信じられないと叫ぶ私の友人、親友からも言われる身の立場になっている現実が、癒されぬまま解明してほしくない哀訴に聞こえてくるのです。だからこそ、マインドコントロールなのです。

 宗教のドグマとは、そういうものであり、人間とは、観念一つで生き方も人生も価値観も、一変してしまうものであることが、このオウム裁判でハッキリしたことは疑う余地もありません。

つづく

オウム事件の総括と暗示②

オウム事件の総括と暗示②

<未だに解明されぬ訳>

 なぜ、愛する肉親がオウムの犠牲となり、殺されたのか、どうして高学歴で優秀な若者たちが、躊躇なく犯罪に走ったのか。

 16年間もの長い法廷審理では、『何一つ解明されぬまま』結審を迎えてしまった、というマスコミのフレーズに煽られるが如く、国民の多くが頷く光景が目に浮かんできます。

 どんな大事件でも一過性のワンパターンで報道を済ませてしまう日本特有の儀式で終了されては、たまりません。多くの被害者、御遺族にとっては、このような苦しみ悲しみは二度と起こってほしくないのですから。これは加害者側の家族も同じ思いであり、人のために尽くす出家が、なんと逆に人を不幸にさせてしまったことへの償いを、どのように示すべきかの、思い罪過の反省を最期の日まで行じるしかありません。

 ことの問題点は、偏に「何一つ解明されぬまま」という、一方的な切り捨て文句のフレーズであって、その責任の所在を裁判所や多くの被告人(弟子)や完黙の麻原に訴えているだけで、核心に迫る重要な証拠や証言に対して、主観的に無視しているかのようであり、まるで他人事であるかのような姿勢を貫くマスコミの報道倫理がよく分かりませんでした。

 なぜなら、オウム公判の審理は、一般事件に比べると数倍以上の時間を費やしていると、どの弁護団も申してます。

 私も、地裁では、心理鑑定で2ヶ月もの時間を与えられ、元最高検検事で名誉教授の土本武司氏や心理学者の医師で名誉教授の小田晋氏が弁護側の証人として出廷されました。

 私以外の各被告人は、取り調べの時の検事調書を全て不同意とし、地裁の法廷に、何十人もの証人を召喚したため、膨大な時間を要したことはマスコミが一番よく存じていることなのです。

 それでもなお、「何一つ解明されぬまま」というフレーズを垂れ流す現象は、この日本の報道倫理に欠陥が生じているのではないかと思わずにはおれません。もちろん、オウムが生まれたバブル時代の背景も、一つの要因であったのでしょう。

 故・坂本堤弁護士の友人であった滝本太郎弁護士も私の法廷に出廷され、弁護側承認として、麻原以外の弟子たちの刑を減刑される目的も含むものとして、マインドコントロールの内容について詳細に語られています。

 滝本弁護士は、オウム信徒(出家者)の脱会活動を続けられ、被害者の会(オウム家族の会)の弁護人で、さらに脱カルト協会の主催者です。

 なぜ、麻原を盲信するのか、どうして殺人をポアとする、正義と確信して行為に及ぶのか、そこまでに至るマインドコントロールの過程の全てを客観的に語れる弁護士は、滝本先生しか存在しません。

 また、オウムのマインドコントロールを解くことのできる貴重な人物の一人であることは間違いありません。

 故に、オウム事件とは、各事件の内容の違いはあっても、その全ては、麻原の教義の下、宗教という心の呪縛に陥穽した背馳の観念に至るジハード(聖戦)と同じであったと言えるのは、法曹界でもメディアも認めていたのは確かです。

 それは、21世紀の今もなお、世界中で起こり得る収容テロや民族間のドグマに支配された争いと同様の従属システムとも言えましょう。

 そのように見ると、各被告(弟子)たちの審理は十分に解釈されておられ、同情する姿勢も少なからず存在したと仄聞してます。

 なぜなら、裁判官の中にも、敬虔なクリスチャンや仏教徒も存在します。また新興宗教や神道系の信者もいますので。

 ただし、個人の本音はあくまでも宗教観念の自由意志であって、一般論の立場で解釈しなければならぬ法律家としての立場は、別のものなのです。

 そもそも裁判所という空間は、被告人の量刑を裁可する所であり、事件の心理的解明や同様の問題を二度と起こさぬために、政府に指導し、強く行政に提案を訴える期間でもありません。

 しかし、多くの被害者や国民が希求されるのは、カルト犯罪の無い治安であって、それを国が示してほしいのです。

 ところが、国の行政は宗教法人に対する税収を少し改善したのと、公安調査庁が行う団体規制法による監視を維持しても、その他、多くのカルト宗教や団体に対する撲滅対策や指導において、これといった顕著な進展は見られません。


 故に、滝本太郎弁護士のような民間のボランティアやキリスト教会とか、寺の住職が、被害者や御遺族の心の拠り所となり、オウム信徒の脱会活動やカルト組織の反対運動を、国の援助も無いまま、果てしなく続けていくしかないのです。


つづく

オウム事件の総括と暗示①

以下は、玉龍寺(岐阜県)の会報に掲載された平成23年12月付の手記です。
少し前に書かれたものですが、悔恨の気持ちと、過去と現在の状況がかなり真実に近い状態で書かれています。


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オウム事件の総括と暗示 ①




地下鉄サリン時間から16年。平成23年11月21日、最高裁判所の判決を持って、オウム真理教元幹部遠藤誠一被告は、死刑確定となり、オウム裁判は13人もの死刑囚が確定し、全ての事件は審理を集結。

 あとは麻原をトップに弟子たちの執行を待つのみである。果たして、それだけで多くの被害者と、肉親を殺された御遺族の苦痛や無念の怒りが少しでも癒されたことになるのだろうか。

 今もなお、治療を続けている被害者は当然のごとく、愛する肉親を殺害された御遺族は深い悲しみに包まれ、失われた16年もの長い月日が戻ってくることなありません。

 もし、時が戻るのであればと、幾度も慟哭し、我が身を呪ったものでした。肉親が生きて戻ってきて、初めて癒されるのであって、それ以外の終結などあり得ないことを肝に銘じて、刑の執行を待つのが当然であると、受け止める次第であります。

 それでもなお、被害者の方々や御遺族の貴い時間は一秒間たりとも癒されることはありません。

 もう、それ以上、言葉になりません。

 たとえ、サリン事件に関与していない私でも、オウム草創期から坂本さん御一家の事件まで麻原の側近大師一人でいた責任は重大であり、また、その後脱会して約6年間、地下鉄サリンの日まで、オウムを野放しにしていた罪は、消えません。


 だからこそ、極刑という裁可の下、償うべき覚悟を前提に、オウム事件の総括として、私なりに述べさせていただきたいと存じます。


つづく

2018年5月12日土曜日

問い掛け①

以前ご本人から転送されてきていた、宮前(岡崎/佐伯)一明さんのカナリヤの会の会報「カナリヤの詩 161号、164〜166号」に寄稿された手記です。webで見当たらなかったので、書き起こしてみました。
幼少期、養子に出されたこと、事件を振り返って思ったことなどが書かれています。
続きはまたupします。

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問い掛け(2008年8月4日付)



 アルバムを取り出し、あの写真を見る。
「・・・ ・・・。」

 長い沈黙のなか、さまざまな思いが去来する。
 思い返せば二審(東京高等裁判所)の初公判があった夜も、そっと開いて見ていた。
 別に、これといった理由は何もない。過去に投影される追懐の情に、浸るつもりもなかった。
 なぜなら、その写真とともに三十余年、ずっと語り続けて来たし、ただ、そうしていたい。
 そして、二審も死刑判決になった。

「・・・ ・・・。」

 上告中の今、生きているうちに自分にできること、己の使命とは何かを突き詰めていきたい。
 自分にしかできないこと、どんなことでもいい。何かで、償うことを考えてみたい。刑に科される日まで、ただひたすら陰徳の道を歩み続け、この生涯を終われたらいい。
 今もなお、他を利することで今も救われていることに深く感謝し、ご縁ある、多くの人たちの安寧を心底願い続けていきたい。明日もまた心込めて筆を執ることのできる、そのときを。一瞬一瞬生きることの大切さを。最期の日までかみしめていきたい。
 周囲の温かい支援によって、いまの私は生かされているのだから。

「・・・ ・・・。」

 すると突然、九時の就寝チャイムが鳴り出し、室内の明かりは半減した。写真のコントラストがぼやけ、仕方なくアルバムを閉じた。立ち上がり、いつものように献花の水を入れ替え、御一家の戒名と法友(故人)に手を合わせ、看経を始める。このとき、フロアー全体がまるで雪の降る深夜のような静寂に包まれ、目を閉じると雪山の小屋の中にいるような錯覚に陥ってしまう。
 そして今日も、孤独に無言のまま終わる一日だった。

「・・・ ・・・。」

 我に戻り、再びアルバムをそっと開いてみる。
 目が慣れるまで、少しの間があく。

「・・・ ・・・。」

 それは、色褪せたモノクロ写真。田畑と鉱山に囲まれた片田舎の木造長屋の一隅だ。出入り口の敷居にちょこんと座っている二歳くらいの男の子。着物に前垂れをつけ、両足が地面に届かず、その浮いた小さな靴がなんとも可愛らしい。
 秋の日差しを斜めに受け、眩しそうな目をする横顔がまた愛くるしい。土間から野菊がはみ出す貧相な住まいだ。
 それでも愛情いっぱいに育てられているかのように笑みをたたえて写っている。

 それは私だった。

 三十余年もの間、胸の内から「どうして、なぜ」の谺が耳朶を打つ。

 ことの始まりはこの問い掛けからだ。

 物心がついた頃より、幾度と無く、その子が私を呼ぶ。
 アルバムを開くたびに・・・・、
「ねぇ、お母さんは、どこにいるの・・・・。」
と汚れのない笑顔で問い掛けてくる。

 養父を実父だと信じる反面、養母に対し疑念を抱いていた少年時代。
 その子とともに、 自問自答を繰り返してみたが・・・・そもそも記憶を照らすものが何もない。だから養母を母だと信じることにした。

 高校受験を前に養父から養子だと告げられ、やはりと納得した。
 しかし、気持ちの整理のつかないうちに、さらに別の疑念が湧き上がった。

 自分で言うのもおこがましいが、何故こんなにも可愛い我が子を置き去りにし、母は消えたのか。

・・・・・・・・・
 
 それが知りたかった。

 養父に訊ねると、
「そんなこと言われてものぉ、本人じゃないから、ようわからんのぉ」と視線を逸らして黙り込んだ。
 当然、気心の知れた養母には面と向かって問い掛ける勇気はない。

 翌日、養父母の前で誓った。
「生みの親よりも育ての親だと思う。当然のことだ。僕の本当の両親は、育ての親である佐伯家のとうちゃんとかあちゃんだよ。」と胸を張った。
 幼少の頃、耳にタコができるほど聴かされた浪花節の台詞のようだった。
 もちろん、養母には本音を言ったつもりだ。それでも、養父に対しては生理的なしこりが渦を巻いて残っていた。

 一方、記憶のない母の後ろ姿を追い続ける「問い掛け」は決して途切れなかった。割愛のジレンマをその子とともに享有していたいからだ。

 そして、写真はセピア色に変わった。

 母の蒸発から、四十年もの歳月を経たいま、その真相が明らかになった。
 それも、償うことの出来ない大事件の実行犯となり、死刑判決を受けた後に。

「・・・・ ・・・・。」

 或る日、目の前に掲げる坂本さん御一家の戒名を仰ぎ見て、真剣に問い掛けたことがあった。「いまの境遇に至らなければ母を知ることはありませんでした。でも、これだけ多くの犠牲者の上に得られた真実が一体どんな意味を成すのでしょうか。」

 ところが、沈黙の渦が独居房を包み込むだけで、回答は返って来なかった。いつものように瞑想を深め、床についた後も反応がなく、それから何日待っても、いつかのように坂本さんが夢に現れるようなことはなかった。

 思えば人生の節々で決断し、行動したのは自分寺院だった。麻原や石井たちから巧妙に刷り込まれ、騙されたのだと人は言うかも知れない。確かにそうだった。しかし、間違いなくその場で選択し行動したのは私だった。もちろん、教義を心理だと盲信し、背馳の観念に陥穽した無私の蛮行にほかならない。これは決してゆるされるような行為ではない。

 猛省の念を深め、生命の尊厳について思いを馳せることが多くなったいま、私が死んでも、被害者の方々は誰一人、生き還らない現実が残るのだ、そう思うと、喉の奥が詰まり、脱力感に打ち拉がれてしまう。

「・・・・ ・・・・。」

 以前、滝本太郎弁護士が面会で、こう仰有っていた。
「君らが死ぬことによって、坂本君が生き還るなら、何度死んでも良い。しかし、そうはならないから、だから君には死刑になってほしくない。」と。


 罪の深さはもちろん、多くの人たちに与えた絶望と怒り、悲しみと虚無感をこの日本にえいえいんに刻み込んでしまった事件。そしてこの怨嗟の念を癒すことは出来ない。誰にもどうすることもできない。消し去ることも償うこともできない。罪と悲しみだけが残り、何よりも、そうさせてしまったのはなのだから。
 一体、どうして斯う成ってしまったのか。なにがそうさせたのか。そして、これは起こるべくして産まれた、(麻原の存在)必然の減少(日本社会の歪み)といえるのか、私なりに冷静に模索し続け、早八年が過ぎようとしている。


 人類の歴史に思いを馳せれば馳せるほど、思いをどうしようもなく、やりきれない。なぜなら、人とは何故、これほどまでに暗愚な生き物なのかと・・・・・・。
 言う迄もなく、自分もその中に入る愚か者の一人だ。識れば識るほど暗然とさせられた。理不尽と言える思考停止のわなに人々は翻弄され、戦争を繰り返して着たのだから。
 仏教の歴史から思想、哲学、そして日本やアジア各国の民俗学、死生観の有様について、また、現代科学の領域で人の心がどれほど解るのか、照らしてみた。
 現代人の価値観と心の居場所探しや様々な宗教についても慎重に、ひとつひとつ丁寧に整理して来た結果、いま漸く辿り着いたと思う。
 人は、いま、目の前に在る事象を正しく見ること。そして、在るがままを、k何社しつつ大切に生き抜くことではないかと。
 すると、これからどうすれば良いのか。人は皆、在るがままで、完璧に倖せになれるのか。在るがままの心に拠って誰もが平安を約束できるのだろうか。
 在るがままとは無為自然のことなのか。老荘思想の無為自然が真実や本物を見分けられるのだろうか。
 無為自然とは仏性を規定とする思想ではなかったのか。誰にも仏性が在ると仏陀は述べ、自灯明、法灯明を旨とせよと言っている。誰にも、それだけで地球は救われ万物にとって、最も善いことなのか。

「・・・・ ・・・・。」


 そして再び、問い掛けが始まった。隔世の違いはあれど追い求めていた目的は、人とは何か。そして、万民が倖せになることだった。渇愛を求め続けて来た幼少年時代の問いかけの人は、もちろん母のことだった。


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続き : 問い掛け②

2018年5月4日金曜日

管理人より

こんにちは、宮前一明さんの支援者であり、webページやこのブログの管理等をしている者です。
最近、オウム事件の死刑囚が移送されてから、取材依頼が増えました。
取材で質問をされてはじめて「それってこうだったのか」とか「こういうことが知りたいのか」と気づくことが多いです。

そういった気づきに準じてブログに手紙などをupしたりもしておりますが、やはりマスコミの拡散力は絶大なので、取材をできるだけお受けしたいと思っております。

取材は基本的にご依頼していただいた順番にお受けしておりますが、ほぼ共通して聞かれることをこちらにまとめておきたいと思います。


1)管理人と宮前一明さんの関係

管理人は外部交通権も持っていない支援者に過ぎません。
外部交通権を持たれている方を通じて、宮前一明さんと四、五年くらいやりとりをさせていただいていて、宮前さんから、私に渡した絵や資料などはどんな風に使ってもらっても構わないことや、邪魔なら破棄してもいいことを伝えられているので、webギャラリーやブログの管理をさせていただいております。
管理人は宮前一明さんのことを友人の一人のように思っています。


2)なぜ管理人が宮前一明さんを支援しているのか

これもよく聞かれるのですが、塀の中って誰かが支援しないと生活が成り立たないので、どんな理由であれ支援者が存在するのは当たり前です。なので、特に強い理由もなく成り行きと余暇があるからくらいの理由で支援する方は多いと思います。管理人もそんな感じです。
余談ですが塀の中支援、教誨師繋がりの宗教者のボランティアさんとか多いみたいですね。そういう方達のお話もとても興味深いです。


3)管理人の死刑囚支援のスタンス

管理人は宗教もやってないし、死刑反対や政治を許さないみたいな活動などをやっているわけでもありません。本当に熱い気持ちとかがあって支援しているわけではなく、「できることをできるだけ」のスタンスでやっているだけなので、本当に管理人の話は面白くないと思います。
また、死刑囚といえど、管理人の方が病気や事故で宮前さんより早く死んでしまう可能性もあります。同じ社会に生きている人同士という意識で、支援を必要としている人へ何かできることはないかと考えている、その中のひとつの活動です。
また、管理人は仕事で対人援助やソーシャルワークを学んで実践してきたので、支援時にはそういう技術を使っています。


4)宮前一明さんの支援開始のきっかけ

もう4~5年前のことなので記憶が定かではないのですが、同時期にこの①と②の両方から宮前さんを知ったと思います。

①オウム真理教事件に興味を持ち、個人的に調べていた時に様々な視点から事件を知りたいと思い、被害者の本、裁判記録、弁護側の本、元信者の手記などを読んでいた。その中で死刑囚がまだ東京拘置所に存在していることを知り、実際に話を聞かせてもらうのは無理だと分かった。そしてせめて支援してみたいと感じた。

②広島で死刑囚の絵画展が開催されていて、小さなギャラリーと、鞆の浦の櫛野展正さんの「極限芸術」で宮前さんの作品を実際に見た。「空の山水庭」「夫婦鶴」などとあとは大道寺道子基金による死刑囚の表現展の作品などがあった。繊細な筆致に驚き、真摯に絵に取り組む姿勢に反省や悔恨の気持ちを感じた。

それから、現金と切手は外部交通権が無くても差し入れが出来ると知り、オウム死刑囚ほぼ全員に送付していたら宮前さんから外部交通者を通じてメッセージが来て、外部交通者の方を通じて近況などをうかがったり、資料や絵をいただいたりするようになりました。


5)管理人のオウム真理教事件に対する考え

オウム真理教事件の詳細を学んでいると、まじめで普通の若者が、麻原彰晃という教祖に騙され、変性意識を引き出され、マインドコントロールや洗脳を受け、人によっては犯罪行為を行わないと自分自身や家族などが殺されるという脅迫を受けて殺人や傷害といった重大な事件を起こしてしまったのだと、管理人は考えるに至りました。
なので、
・麻原以外の元弟子の死刑判決は厳しすぎるのでは?
・死刑囚は死刑執行をただ待つだけでなく、オウム真理教で起こってしまったことを語り継ぐなどとやるべきことがあるのでは?
と考え、死刑囚支援をすることや、死刑囚の考えを聞いたりしたいと考えるようになりました。


6)管理人は宮前一明さんに何を求めているのか

オウム真理教事件は社会的にとても影響のある事件であり、同じ時代を生きている管理人にとって他人事には思えません。加害者となった方には事件の反省や悔恨を深めて欲しいと常に思っています。
そのためには、公開できることは世間に公開してほしいと思っています。
なぜオウム真理教に入信して、ハマり、事件を起こしたかを当事者として語り継いで欲しいと思っています。
被害者・遺族の方たちで、宮前さんに早く死んで欲しいと思っている人も少なくないのが当たり前だと思います。しかし、社会の仕組みとして、刑罰として、宮前さんに個人的に好きな時にすぐ死んでいただくことはできません。それなら、宮前さんや他の元オウムの死刑囚の方たちにはもう二度とこのような事件が起きないようにという想いを持っていただいて、社会の発展に貢献できるようなことをしていただく方が良いのではと考えております。


7)宮前一明さんにもらった絵や資料をどうしたいか

できる限り公開して、それらに触れた人の考えを深めれるきっかけになったらいいと思っています。面会記録とかで個人名が入っていたりプライベートに関わるものはもちろん避けます。


8)なぜ宮前一明さんが絵を描き続けていると思うか

宮前一明さん手記「無明から真人へ1」
書き起こしたこちらに、絵をはじめたきっかけなどが当時の言葉が掲載されていますが、管理人からしたら宗教のことや玉龍寺のことがあり、申し訳ないのですがイマイチよくわからないなと正直思っていました。
最近考えたのは、これは飽くまで管理人のいち意見ですがこんな感じです。

・現在できること、やれることを一生懸命やり、残された時間を一生懸命生きることが償いに通じると考えられている。

一見すると、宮前さんが絵を描いていることが何か償いにでもなるのか疑問に思うと思います。先ほども書きましたが、被害者・遺族の方たちで、宮前さんに何よりも早く死んで欲しいと思っている人も少なくないのは、本当に当たり前だと思います。

突如自分のことで恐縮ですが、管理人は持病がありよく病気をして伏せます。無職になることもあり、その時に社会のどこからも必要とされていない感じを受けるのは想像以上に辛いことだと知りました。

宮前さんは、社会から隔離され、罪を償う意識を持つ中で、絵を描こうという気持ちを持つことができて、絵を描ける技術を磨くことができました。
独房で無為に過ごすでなく、自分ができること、やれることと一生懸命に向き合うことは、真摯に生きることに繋がり、罪の償いにも通じるものがあると思います。
そういった想いがあって絵を描いているのだろうと、勝手に感じております。


9)オウム真理教事件を通じて現代に通じると思うこと

オウム真理教に入信した人や、特に犯罪に関わった人は、ご自分の親や家族とのコミュニケーション不全を感じる言動が多々みられました。
管理人はバブル崩壊直前に生まれ、母親はメンヘラ、父親は家庭に無関心で、両親ときちんと会話をした記憶は皆無です。20代後半になるまで、私自身もメンヘラになり、精神的に未成熟でほぼ毎日死のうと思っていました。
そんな中でオウムを知り、オウムに入信した人たちの事情を知るうちに自分を自然に重ね、オウムの言うような絶対的な真理というものを理解したら、自分の苦しみは無くなって家族との不和も無くなるだろうと考えてしまうことは、正直分からなくも無いと思いました。

このような場で引用するのはいささか気が引けますが、坂本弁護士の奥様の親である大山さんが「自分たちの世代の子育てに間違いがあったのではないか」「戦後、戦前とは全く異なる民主主義という価値観を与えられ、子供達の世代に、根本的にどう生きるかといったことがちゃんと教えれなかったのではないか」といったことを、裁判や自著で発言されています。そしてそういった反省が現在生かされているのかといったら、どちらかというとそうじゃないこともあるように思います。
私たちの世代は、現在、ブラック企業や過労死、ハラスメントや毒親といった話題の人権侵害に晒されがちです。友人・知人にもそういった被害者がたくさんいます。
オウム真理教をシンプルに考えてみると、毒親で育った人達が、オウムというブラック組織へ入り、修行と称して睡眠や食事が制限されて、体力の限界に挑戦させられて死亡することもある。麻原や上司幹部からのセクハラ、パワハラも最上級で、強姦、犯罪行為の命令などなんでもありです。オウム真理教の仕組み、現代のダメな組織の行き過ぎた版では・・・?と、感じたりします。そしてやはり、そういった組織に自分が入ったり被害を受けないだろうとはどうしても思えないのです。
オウム真理教事件を学ぶことは、現代の問題になっていることを理解する手段の一つにもなるんじゃないかと考えています。


10)管理人の複アカについて

管理人は「山田茜」というハンドルネームでオウムウォッチなどをしたり、インコの会のお手伝いをしております。(https://twitter.com/akaneyamada0322
しかしこちらの活動では宮前さんの気持ちを常に汲んで発言を行なっているわけではなく、個人的な考えを考えているのみなので分けて考えていただけると幸いです。
ちなみに、このブログなどを立ち上げた時に、京都で宮前さんの絵の個展をしており、同時期に茜の方でひかりの輪批判をしておりましたら、信者にリアルで追いかけられたりして怖かったので、個展などでトラブルになったらイヤだなと思ってこちらのブログでは管理人名などは伏せてきました。



11)宮前一明さんとのこれから

宮前一明さんと友人になってから、オウム真理教のことだけではなく色々と考えさせられて勉強になることが多く、とても感謝しています。
今後も管理人ができることをやっていきたいと思っています。


12)追記 ブログ開設の経緯
宮前さんがご自分のwikipediaを支援者の方を通じて編纂してたのですが、すぐ書き換えられてしまうと悩んでいたため、「言いたいことがあればブログに書けばいいのでは」とおすすめしたのがきっかけです。



拙い文章で大変恐縮ですが、こんな感じのことを考えながらやっています。
よろしくお願いします。

2018年5月3日木曜日

移管直後の手紙

平成30年3月14日に、宮前一明さんは名古屋拘置所へ移管されました。
その直後のお手紙を記載します。
ブログ管理人との近況報告など、かなりプライベートな話題もたくさんありましたので、その辺はカットしました。


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宮前一明さんより、316日(金)付の手紙
<移送についての部分>
さて、返信が遅れたのは、既に御存知と思いますが、某(ご自分のこと)は3/13の夕方頃から突然にして移管の告知と共に、房内すべての物品をダンボールに詰め込み、翌朝AM6時過ぎには舎房の中に坐ってました。3/14のラジオニュースや3/15の朝刊にもオウム死刑囚7人の移管は載っております。(中略)
某の今の立場は新人の入所死刑囚なので ペンも一本のみしか使用できず少々不便ですが、来週には徐々に許可される規制もあると信じてます。又、昨日から舎房総量規制と共に東京拘置所とは違い旧タイプの処遇規制が未だに残っている為か、少々厳しい環境が続くかも知れませんね。(中略)
(ブログ管理人)さんの日々の行為と御心遣いには頭が下がります。そして日々、某も心から感謝しております。
(後略)


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宮前一明さんより、319日(月)付の手紙

◎明日は地下鉄サリン事件の祥月命日。ご冥福と反省のみ。

拝復 3/16(夕方)に(外部交通者からの手紙)が東拘から回送されて届きました。(中略)

さて、前便(上記3/16付の手紙)発進後に、(支援者)さんからの窓口差し入れの告知あり、こんなに早くとは嬉しい限りで胸が一杯になりました。後日、お礼状を発信します。今後の文書では、伝言内容に於いて、法律的に犯罪につながるものでなければ問題ない様子です。

この土日はずーっと書類等(書簡も)の整理でてんてこまいです。名拘は食事メニューはキメ細かくて美味しいです。一日一食でも十分です。只、旧舎なので規制も厳しく東拘とは要領が異なる環境といえるのか?と少々心配です。
・・・と云うよりも作業や絵を描く時間が、どれほど残されているのだろうか?と。
まさかの横山君が名拘移管と。
(支援者)へはどうか宜しくお伝へ下さい。

合掌 九拝

平成三十年三月十九日(月) 吼宇 


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この後、2018年4月12日 の手紙へ心情が繋がっていく感じと思われます。